仇討(1964)/ 中村錦之助の驚異の熱演は文化財級だ!!。

切腹」の双璧と言うべき時代劇名作。

下級武士・中村錦之助が悩み、もがき、苦しむ様は筆舌しがたい。

何故かVHSは過去にあってもDVDは今もって発売にいたらない。

↓持っていたVHSのジャケット。DVDに焼いて鑑賞。

f:id:motolovelyboy:20160611153656j:plain

 

無名時代蜷川幸雄 辰之助の助太刀6名の1人として出ている。

 ネットより☟

仇討 1964・東映  
仇討

製作:大川 博
監督:今井 正
脚本:橋本 忍
撮影:中尾駿一郎
音楽:黛 敏郎

出演:中村錦之助
    田村高廣
    毛利菊枝
    佐々木愛
    神山 繁
    丹波哲郎
    石立鉄男
    加藤 嘉
    三津田健
    三田佳子
    進藤英太郎
    
石立鉄男

三田佳子(右)

死闘

死闘

中村錦之助の迫真の演技

仇討
物語

徳川幕府の治世下のことである。
播州脇坂藩竜野城で恒例の武器倉庫の点検が行われていた。
そこを通りかかった奥野孫太夫(神山繁)は槍の穂先の曇りを見つけ嘲笑したように皮肉な言葉でなじった。
 
その時立ち上がった者がいた。江崎新八(中村錦之助)であった。二人は口論となりつかみ合いの喧嘩になるところを回りの者たちに止められた。
江崎新八の兄、馬廻り役重兵衛(田村高廣)が必死に河原に向かって走る。
家に届いた奥野孫太夫からの新八への果たし状を見たからである。
 
河原の隅に新八の姿を見た。その横に死骸が横たわっている。奥野孫太夫であった。
 
私闘を厳禁する掟を破った二人を、重兵衛と孫太夫の伯父丹波伝兵衛(加藤嘉)は協議した末、乱心しての私闘と届出た。
新八は城下の山の中にある感応寺にお預けの身となった。
乱心と聞かされ憤懣やるかたない新八は、家名尊重のためと言い聞かされやむなく従った。
 
住職の光悦(進藤英太郎)との静かな生活にも慣れ新八の気持ちも落ち着きを取り戻した。
妹のみち(佐々木愛)が友達のりつ(三田佳子)を連れて慰問に来たのもそんな時だった。
新八はりつに強く惹かれるものがあった。
 
一方、奥野家では兄を殺されて家督を継いだものの弟の主馬(丹波哲郎)は怒りに燃えていた。
彼は神陰一刀流免許皆伝の腕の持ち主であった。
ある日、主馬は兄の仇を討とうと感応時に向かった。
 
山道の途中で新八が迎えた。偵察していた寺の小僧が知らせたのだ。
新八の心は震えていた。この相手に勝てる訳がなかった。
剣を交える二人。しかし、一方的に攻められる新八が躓き転んだときに主馬の刀が真上から落ちてきたと思いきや、必死に払った新八の刀は主馬の腹を真一文字に捌いていた。
主馬の刀は立ち木の横枝に食い込んでいた。
 
この噂は藩内に広まった。公儀の沙汰として仇討ちを認めた藩は、奥野家の末弟辰之助石立鉄男)に新八を斬らせるしかなかった。
重兵衛の心は重かった。家を守るために弟を死に追いやらねばならない。
 
重兵衛は感応時に出向き新八に藩命を告げた。武家の理不尽な掟に心では反抗しながら、新八は兄に説得されその苦衷に応えるしかないと思い始めていた。辰之助は新八にとって幼なじみであった。
重兵衛が帰ると光悦は言った。「逃げろ、日本は広い。人間どこにも生きていける道はある」 光悦は新八に逃亡を進める。
 
しかし、新八は兄の苦衷も良く理解していた。
自分が辰之助に討たれれば家の安泰は保たれるのだ。
新八は腹を固めた。
 
城下桔梗ヶ原に竹矢来が組まれ新八と辰之助は相対した。大勢の見物人が回りに詰め掛けている。その中には光悦も混じっていた。
国家老片貝頼母(三津田健)の合図で仇討ちの開始だった。直後、辰之助の背後から六人の武士が刀を抜いて走ってきた。これはあらかじめ奥野家が決めていたことだ。
驚いたのは新八だった。
「助太刀は無用だ!助太刀は無用だ!」 叫ぶ新八に立ち向かってくる武士たち。死に物狂いで刀をぶつけ合う。
新八は何人もの武士を斬った。その事態に驚いた兄の重兵衛がその中に走ってきた。
新八は兄を見てとまどう。その時、新八の背中を一本の槍が突き刺さった。
致命傷だった。新八は全身血まみれで死んでいった。
 
夕闇の立ち込める竹矢来の中に新八の死骸に筵がかぶせてある。
その脇で兄、重兵衛の切腹した死体が俯いていた。
映画館主から

日本の社会派映画監督を代表する今井正の武士社会の残酷さを描いた時代劇の傑作。
その意味では「武士道残酷物語」(1963年)の延長線にあたります。
 
決闘が藩の禁制であったにも関わらず果し合いで相手を殺した男が仇討ちに合う悲劇を、陰惨に描いています。
 
「武士道残酷物語」で主役の中村錦之助がここでも起用され、迫真の演技を見せます。
 
今井正は、戦後1949年、石坂洋次郎原作の青春映画「青い山脈」で大ヒットを記録し、
1950年、「また逢う日まで」で戦争によって引き裂かれた恋人たちの悲劇を描きました。
中でも岡田英次と久我美子のガラス戸越のキスシーンは日本映画史に残る名場面として語り草になっています。
 
1951年、前進座と組んでの「どっこい生きている」、1953年、沖縄戦の悲劇を描いた「ひめゆりの塔」など、その後も文学座と組んでの樋口一葉原作の「にごりえ」、高崎市民オーケストラの草創期を描いた「ここに泉あり」、1956年には冤罪事件を描いた「真昼の暗黒」など問題作を多く発表しています。

また、脚本の橋本忍も、仇討の場が徐々に造られていく場面に回想形式でそれまでの物語が織り込まれていくという彼独特の方式で冴えを見せます。