沼津倶楽部

 

沼津倶楽部(和館)の建物は、明治40年(1907年)、ミツワ石鹸二代目社長・三輪善兵衛が沼津市から約三千坪の土地を借用し、近代和風建築の別邸「松岩亭(しょうがんてい)」として建築された、歴史的にも価値のある数寄屋建築です。

 三千坪の庭園「松石園(しょうせきえん)」の中に、当代随一と言われた江戸幕府小普請方大工棟梁の柏木家十代目・柏木祐三郎の手により、数寄屋造りの美しい建物が造られました。全室が茶室として、千人茶会を行なえるように設計されたといわれています。

 この建物は、第二次世界大戦中に陸軍省に接収され、将校たちの休息所となっていましたが、戦後、大蔵省の管轄となりました。時の大蔵大臣は石橋湛山でした。

 昭和21年(1946年)、当時の沼津市長・勝亦干城が有志を募り、大蔵省からこの建物を取得し、商工大臣・星島二郎の許可を得て社団法人沼津倶楽部が設立され、戦災復興の協議の場となりました。当時の沼津は千本松原を除き、大半が戦災で焼け野原となってしまい、市内を流れる狩野川沿いにあった料亭も焼失してしまったため、接待は当施設でしか行えませんでした。当施設に留守番役として常駐していた板前の出した料理が好評で、割烹沼津倶楽部が営まれました。

 そして、平成18年秋(2006年)、老朽化の進んだ建物を改修するとともに、建築家・渡辺明氏の設計による宿泊棟を増築され、会員制ゲストハウス沼津倶楽部として再興いたしました。

 沼津倶楽部の和館は、現在ではレストランやライブラリーとして利用されています。2014年11月、その歴史的・美術的な価値が評価され、国の有形文化財に登録されました。